「生命とは何か?」をガチで研究する会

普段なかなか長期的なテーマに挑めない研究者4人が、ガチで「生命とは何か?」について考える場としてブログを開設しました

何を対象とすべきか? -「生命とは何か?」を研究するにあたって-

 「生命とは何か?」という根本的な問題について一般の方と議論をしてみると、いつの間にか「生命とは何か?」ではなく「人間とは何か?」という問題にすり替わってしまうことが多々ある。我々が掲げているのは「生命」と呼べる状態の定義づけであって、それは当然ヒトも含めるが、同じように動植物も菌類も含めるという意味合いが「生命」という言葉にはある。 

 ここに一般の人と、我々のように常日頃から「生命とは何か?」を中心に据えて研究をしている特殊な人間との認識の差があるのだが、専門家であっても、「生命とは何か?」を知るために一番手っ取り早い「モデル生物」や「対象とすべき現象」や「よく調べるべき生物種」は何か?と問われれば、簡単には答えられないだろうと思う。

 

 いま現在、「生命」と呼べる状態について、一部の生物種でもその状態をきちんと記述できる方程式は存在しないし、ましてやユニバーサルな状態方程式があるわけではない。そこで、将来的に生命をきちんと定義づけるにあたって、まず始めに、どの生物に着手すべきか?、それ以前に、どう種類分けするのが正しいか?、さらにそれ以前、種類分けする必要があるのかどうか?という問題を議論したいと思う。

 

 一般に、大きく生物種を分けるのであれば、古くからいる順に、「古細菌」「真正細菌」「真核生物」と言えよう。古細菌真正細菌原核生物とも呼ばれ、原核生物から単細胞の真核生物へ、その後に単細胞の真核生物から多細胞生物が誕生した、と考えるのが一般的である。そして、進化の最終段階にあるのがヒトである、とよく言われている。
 現在までの研究で、合成生物学の分野では、最も単純(だと考えられそう)な古細菌ですら、人工的に再現することはできない。進化につれて、その化学的な機能だけでなく物理的な状態も同時に複雑化しているということを当然に考えるのであれば、我々はさしあたり「古細菌」だけにフォーカスするのが現実的だと言えそうだが、果たして本当にそれで良いのだろうか?

 

 状態の重ね合わせを許して良いのであれば、原核生物(の状態)の重ね合わせが単細胞の真核生物(の状態)であり、単細胞の真核生物(の状態)の重ね合わせが多細胞生物(の状態)でありそうな気もする。しかし、完全に突飛に考えてしまえば、古細菌の好熱菌からヒトまで、すべて状態として平等であり、一度にユニバーサルに考えてしまうという取り組み方もあるかもしれない。
 これらは当然、天下り的に許して良いはずがなく、十分に議論しながら「何を対象とすべきか?」を決めなくてはいけないと思う。

 

 議論するための疑問を以下にまとめてみよう。

 

 (A) どの生物種を対象とすべきか?
 (B) 上記した種類分けのやり方で果たして本当に良いのか?ダメなら他にどういう分け方があるのか?
 (C) そもそも分けることに意味があるのか?

 

 ひとまず私(たかはしけい)個人の意見は、ここでは述べず、問題提起だけに留めておくことにしようと思います。

 

 高橋慧